JOURNAL

「丹波篠山」へ

2015.09.09

「今丹波篠山に居るんだけどインターチェンジがどこか分からないから教えて!」ととある友人から電話をもらったことがあります。
よくひとつの自治体と間違われるこの呼び方、実は丹波は丹波市、篠山は篠山市と別の自治体なのであります。
さておき、今日は午前中は丹波市の製材所に新しい住宅計画で使う材料検討の打ち合わせに、午後は造園家と同じ住宅計画の造園打ち合わせをするために敷地のある篠山市へと「丹波篠山」な一日でした。
製材所の方との打ち合わせは三回目、打ち合わせをする度に木の知識が深まった満足感があるのですが、更に新たな打ち合わせをするたびにそんな満足感は気持ちよく打ち砕かれます。

午後、造園家の方とは樹種(カエデとかヤマボウシとか)といった話の前に、この敷地に建つ住宅には山取りの木が相応しいのか、人間が畑で育てた木が相応しいのか、という話に。
山取りの木というのは文字通り自生している木を山から取ってくるワイルドな樹形をした木。樹形は整っておらず、かすかな光を求めて縦横無尽に伸びた良くも悪くも整っていない枝振りが魅力。
畑で育った木はお坊ちゃまというかお嬢様というか、他の木から間隔を離して光りをたっぷりと浴び、きちっと手入れされて育った過保護な木。
畑で育った木は光をまんべんなく受けられることで樹形がとても奇麗で、一本または一株立っているだけでもうっとりするようなものがあります。
「過保護」と「ワイルド」の対決となると「じゃあ自然の力を感じる山取りの木で!」と私は言いたくなってしまうのですが、今回採用することになったのは畑で育ったお坊ちゃま&お嬢様達。

計画中の敷地は雑木林に覆われた小高い裏山を背にしています。
周りを自生する言わば山取り(取られてませんが)の木に囲まれている分、庭木も山取りにしてしまうと同化してしまい全体の印象が薄くなる、とのこと。
それよりもお坊ちゃまお嬢様の力を借りて雑木林を再現する方が周囲の自然との連続感、馴染みは良いものの、樹形の美しさにより周囲とは一線を画する凛とした空間が生まれるのでは、ということに。
逆に街中で元々自然が無いところでは山取りの木を使うことがほとんどとのことで、今回のように畑の木を使おうと思われるケースは稀とのことでした。
これは一般的なことではなく、この造園家の方に限ってのことなのかもしれませんが。

こういった方々と話を続ける事で自分達だけでは見付けられなかった、たどり着けなかったであろう方向性に出会えるのといつもドキドキしてしてしまいます。

Photo: A sawmill in Tamba full of cedar panels.